2012年9月アーカイブ

今月11日に義母が亡くなりました。

 

内田の姓になって16年。
義母と一緒に暮らす事はありませんでしたが、同じ敷地内で玄関が向かい合わせの生活を、ずっとしてきました。

 

嫁、姑のケンカなど、思えば一度もした事がありません。
むしろ義母は、私の仕事に理解を示し、子育てをサポートしてくれました。
週に2度も出張がある時などは、私に何か言いたそうな顔をしながらもグッと飲み込んでくれ、最後はいつも「気をつけていってらっしゃい」と送り出してくれたものです。

 

義母の最期は病院のベッドでしたが、ベッドの周りには、子ども、孫、ひ孫、姉妹、姪っ子など沢山の義母を愛する人たちが集まり、みんなが見守る中、静かに息を引き取りました。

早くに夫を亡くし、女手一つで子ども、そして孫たちも育てあげました。
だから、孫たちは、みんなおばあちゃんっ子です。
通夜の時も、夜通し、棺の中のおばあちゃんに語りかける孫たちがいました。

 

私の両親は早くに逝ってしまったため、私は身近な人の「死」は経験していますが、「老いていく姿」を間近で経験するのは初めてでした。
そしてそれは、人生の折り返しを過ぎた私にとって、自分の老いる事との重ね合わせでもありました。

 

「外で仕事した事がないから、輝美さんの事もピンとこない事があるのかもよ」と義姉に言われた事があります。
和裁で生計を立て、合間には、休む暇もなく農業を手伝わされ、その上、昔は大所帯であった家族の世話もしていた義母ですが、入院してからというもの、本当に多くの人に見舞われ、最期は、むしろ賑やかなに送りだされる姿を、私は側で見ていて、「しあわせ」とはこういう事を言うのだろうと、心の底からそう感じていました。

 

出来の悪い嫁でした。
愚痴りたい事も、教えたい事も沢山あったでしょう。

ですが、義母の友人やご近所の方がお参りに来て下さり、私に声をかけて下さる言葉は
「お嫁さんの悪口を1度も聞いた事がないのよ」でした。

 

謙遜でも何でもなく、私は本当に出来の悪い嫁でした。
そんな私を「嫁」ではなく「娘」と思って接してくれた義母の深い愛情に、今更ながら感謝です。

和裁をしていた義母が、結婚する時に私に仕立ててくれた、きれいな若草色の色留袖。
葬儀の後、義姉から「あの色留袖は、代々受け継いでいけるくらいの立派な品物だからね」と聞かされ、そんなことも知らぬまま、もう何年もタンスにしまったままにしていました。

義母が遺してくれた逸品。
これからは着る機会を増やしながら、次の代に引き渡しができるよう大事にしていきたいと思っています。

 

私は母とも父とも早くに別れましたが、その代り、とても素敵な家族とご縁を頂きました。
小姑!の義姉二人も近くにいるので、周りの方からは「大変ね」と声を掛けられますが、意外と楽しくやってます。(笑)

 

義母が亡くなり、今はまだバタバタしているけど、また新しい形での生活がスタートすることでしょう。
 

これからの人生をどう生きていくか、考える時なんだろうなぁ。

諦めないとか前向きにとか、そういう事ではなく、もっとベースになる太い幹のような、そんな人生観。

義母の老いていく姿を、死にゆく姿を間近で見ていて、「しあわせ」とはこういう事なんだと感じました。


義母が築いてきた「しあわせ」を、身を持って教えてくれた「しあわせ」を、私も築いていきたいと思っています。

 

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